日本人の浸透率は1.4%?ファッションとして広がるタトゥーの歴史 | FEMMA(フェマ)|私が私を叶えていく世界へ

2021/01/08 11:37

こんにちは。FEMMA代表のYUKIMIです。


私たちは「自分が自分を愛するように」というメッセージのもと、タトゥーシールをデザインして販売しています。その中でも特に焦点をあててデザインしたのがボディポジティブや避妊の重要性について。なぜタトゥーシールにしたの?とよく聞かれるのですが、性のタブー視とタトゥー文化のタブー視を重ねて、タブーを打ち破ろうとする私たちを表現したかった狙いがあります。


今回はコラム的に、日本のイレズミ(タトゥーと根本的には同義)の歴史についてお伝えしていきます!日本のイレズミは出現や消失を繰り返しながら、私たちの文化を支えてきたのです。


古代から日本各地で習慣とされたイレズミ

人類の最も古い身体加工法の一つとして親しまれ、土偶や埴輪(はにわ)の線刻から古代よりイレズミの習慣が存在していました。『古事記』や『日本書紀』(720年)には辺境の民の習慣や刑罰としてイレズミが言及されています。


7世紀中頃になると日本における美意識は大きく変わります。全体的に肉体美よりも、着衣や香りなど暗い室内でも映える「美しさ」を偏重するようになりました。イレズミは徐々に行われなくなり、文献や絵画資料も17世紀初期まで途絶えていきます。


復活、そして世界でも特異な美へ

戦国時代を経て社会が安定した江戸時代になると、イレズミの歴史は再び動きだします。鳶(とび)や飛脚(ひきゃく)はふんどし一丁で仕事をすることが多かったのですが、地肌をさらすことは恥ずかしいとも考えたためイレズミを身にまとうように。やがて社会では「鳶にイレズミはつきもの」とのイメージが強まり、町内の旦那衆が金を出し合って彫らせることもあったそうです。火事場で火消しとして戦う鳶は、江戸の「粋」の象徴であり、鳶のイレズミは彼らが住む町内の誇り、「華」だったんですね。


簡単な文字や図から始まったイレズミも徐々に複雑化、拡大化していき彫師の出現にも繋がりました。大衆文化の世界ではイレズミを入れた侠客が「弱きを助け、強きを挫(くじ)く」理想像として浮世絵に描かれていたそうです。




イレズミを強く規制した明治政府

武士階級には身体を傷つけることを良しとしない儒教思想が浸透したためイレズミは広がりませんでした。江戸幕府は何度か規制を加えたものの大衆には効果はなく、19世紀後半には流行が最高潮に達します。


その後明治政府となり鎖国を解いたことで、海外からの旅行客が来日するようになります。これらの人々は混浴の習慣や全身にイレズミがあるふんどし姿の男たちが街を闊歩(かっぽ)していることを日本特有の風俗として旅行記に綴りましたが、政府は日本の未開部分とみなされるとして問題視、法的に規制。そして、20世紀初めには、イレズミは着衣の奥深くに秘められたものとなっていくのです。隠れて行う人は警察に逮捕され手術や塩酸などで除去されました。今では地域の先祖伝来であったイレズミの習慣は、完全に途絶えています。


第二次世界大戦を経て、普通の人々の営みへ

第二次世界大戦で敗戦した日本は、イレズミを取り締まりの対象から完全に外します。長くイレズミが社会の表舞台から遠ざけられた日本で、彫師が出版や展覧会などの活動を始めたのは70年代から。ファッションデザイナーの三宅一生や山本寛斎が、日本のイレズミから着想を得たタトゥー・スーツをそれぞれ発表しています。80年代にはロックバンドがタトゥーを入れていたことから、これに興味を持った日本の若者が増加。


2014年に関東弁護士連合会によって行われた20代から60代までの男女計1000名を対象にした無作為調査によると、16人がイレズミを入れていたとの結果が出ています。人口の1割から4分の1にも達する海外でのタトゥー施術率と比べれば低率ですが、日本でもイレズミがファッションレベルで定着を始めています。



最後に

いかがでしたでしょうか。タトゥーという観点から見ても、時代によって常識が変遷してきたことが分かります。規制された背景や意図は何なのか。一人一人が考え、行動していくことで私たちの常識が作られていきます。タトゥーはまだ勇気が出ないという方は、ぜひタトゥーシールで想いを発信してみては?


【原文】日本の入れ墨、その歴史